黒猩々の家的遊戯

エンジョイチンパンパッド勢。

格ゲー くだをまく

格ゲーについて

 僕が大学に入るよりもずっと前、教師や地域の目を気にしつつ、ゲームセンターで「ギルティギアイグゼクス」あたりをプレイしていた時、まさかゲームやってるだけでお金がもらえる「プロゲーマー」という夢のような職業が出てくるなんて思いもしませんでした。もちろん、ゲームをしている「だけ」でお金がもらえるわけでもなく、好きなものを生業とするには色々と厄介ごともあるわけですが。




 昔……といっても10年ほど前ですか、それくらいと比較して、そんでもってSNSやら動画サイトなんかも駆使して、格ゲーやら、格ゲーマーやらの露出度と認知度がアップしたような気はします。
 とはいえ所詮ゲームはゲーム。ゲーセン(今なら家庭用でのネット対戦も主流でしょうか)で勝ちまくりたい、プロになりたい。格ゲーを手段にして承認欲求を満たせる時代になったとはいえ、格ゲーをやっている皆が皆、そうありたいと思っている訳ではありません。身近な例として僕を挙げれば、確かにゲーセンで勝ちまくりたいし、「闘劇」なんていう格ゲーの大会に出場したいとか、遠征と称して色々なゲーセンに行ったりとか、24時間のほとんどを格ゲーに費やしている時期もありました。結局、駄目でしたが。飽きっぽい性分なこともあり、負けが込むとやる気をなくしたりして、いわゆる「ガチ勢」ではなくなりました。それでも、ふっとしたときに家庭用の格ゲーを購入してプレイするのは好きです。好きの度合いが変わったんでしょう。他ジャンルのゲームと同じくらいの好きに落ち着き、「エンジョイ勢」となりました。

魅力

 格ゲーの魅力とは何か。色々あると思います。その中でも僕は、明確に勝敗が決するという点に魅力を感じています。人というのは本質的に争って競い合う性質を有していると、僕はそう思ってます。学校の成績、会社での肩書き、果ては彼女がいるかどうかで、勝ち組・負け組とカテゴライズされること、よくありますよね。でも、人によって勝ち負けの基準は違いますし、割かし曖昧でふわふわとしたりも。スポーツですら、日本ではメジャーなプロ野球でも引き分けに終わったり、僕の好きなプロレスもシングルマッチだと両方場外10カウントの引き分けに終わったりもします。後は、あんまり言うと怒られそうなのでやめておきます。

 格ゲーは、一応公平です。競技性があり、ルールがあり、その中で勝ち負けを決めます。引き分けに終わることもあることはあるのですがごく稀です。僅か数分、あるいはそれ以下の時間で勝負が決まります。そこがいいと思うのです。

 もう一つ、格ゲーの魅力的なところは「キャラクターを自分で動かす」ということにあるんじゃないかなと。ゲームはゲームです。ぶっちゃけそれ以上でも以下でもありません。格ゲーというよりゲーム全般の話にもなりますが、ストレスなく自分の意志で何かを動かせるというのは、これはすごいことだと思ってます。

 ゲーム以外にも様々な娯楽があります。手ごろなとこだと、誰しもが本を読み、映画を見て、音楽も聞きます。でも、結構受動的なものが多いです。そりゃ本だとページをめくりますし、映画も音楽も再生・停止は自由にできます。でも、その内容は既にあるものを受け入れているだけで、自分の意志とかが介在する余地は少ないというか、絶無のように思います。

 ゲームだと、自分でボタンを押したり、方向キーを押すことで、ゲーム内のキャラクターが思った通りに動きます。単純かもですが、僕はそれを未だに新鮮だと感じますし、それだけで楽しいと思えます。格ゲーの場合、キャラやルール、システムは最初から用意されている、それこそ自分の意志が介在する余地のないものになりますが、そこから先、これらのキャラやシステムを使ってどう動かすかってのは個人の自由です。選択肢は用意されているのです。

 僕は文章が固いので、もっと噛み砕いて言えば、「かっこいい技を出してるだけ」で「お気に入りのキャラを操作しているだけ」でも気持ちがいいってことです。
 なので、別に勝ち負けにこだわらなくても格ゲーを楽しめるようになりました。ぶっちゃけトレモだけでも楽しかったりします。